« coLinux 0.6.1 (Debian) の起動画面 (10/29) | トップページ | 雨上がりの里山・雑木林・棚田・谷戸へ (10/31) »

2004.10.30

三浦展『ファスト風土化する日本―郊外化とその病理』読了 (10/30)

三浦展『ファスト風土化する日本―郊外化とその病理』読了

  • 興味深いという意味で面白かったです。
  • 自分が先祖代々の東京生まれの東京育ちで東京から出たことがなく、今地方がこんな状況になっていることを知らなかったので、ビックリしたのが正直なところです。
  • 以前から大学などで上京して来た人が就職などで田舎に帰らずにそのまま東京で就職して東京にいついてしまうのが不思議でならず、自分の生まれ育った田舎の方が暮らしやすいのに何でだろうと思っていたのですが、本書を読んで少しだけ疑問が晴れました。

メモは後日アップするかも、しないかも…。

■目次

第1章 のどかな地方は幻想である
第2章 道路整備が犯罪を助長する
第3章 ジャスコ文明と流動化する地域社会
第4章 国を挙げてつくったエセ田園都市
第5章 消費天国になった地方
第6章 階層化の波と地方の衰退
第7章 社会をデザインする地域

■メモ(11/19追加)

P3、2004年6月に起きた佐世保市小六女子同級生殺害事件

  • カッターナイフ
  • インターネットの掲示板
  • 西日本新聞 佐世保市小6女児殺害事件
    http://www.nishinippon.co.jp/news/2004/sasebojoji/kiji/040604_1.html

     この掲示板がある大手インターネットサイトでは、初めて利用する際には会員登録が必要。自分のネット上の名前とアクセス用のパスワードを決めるほか、自分の好きな顔や服装を選択して、「アバター」と呼ばれる自分の分身を作成する仕組み。

  • 長崎小6女児殺害事件
    http://haiiro.info/nevada.html

P3、神戸、1997年、酒鬼薔薇聖斗事件(さかきばら)

P3、2001年の池田小学校の事件

  • 我が人生を変えた事件~大阪教育大学附属池田小学校児童殺傷事件~
    http://www.kachijiten.com/kachi/news/murder.htm

    大阪教育大学教育学部附属池田小学校に、2001年6月8日(金)、宅間守被告が出刃包丁を持って進入し、児童や教員23名を殺傷しました。

P4、どこでも同じような風景である。豊かな自然や長い歴史を感じさせる街並みが衰退する代わりに、真新しい道路ができ、車が走り、ニュータウンができ、プレハブ住宅が建ち、ファミリーレストランやディスカウント店が立ち並ぶ風景。ここまで日本中が均質になったのなら、東京で起こることは、東北でも九州でも起こって不思議ではない。

P4、皮肉なことに、古くから都市化している東京は、いま日本中で最も安定した地域であり、対して、ここ10年か20年ほどのあいだに急激に都市化し、郊外化した地方は、いま最も不安定な地域なのである。

P5、ファスト風土化した地方こそが最も危ない。

p144 「家計調査」、毎月の収入と支出を調べている。

P145、年間消費、東京、地方
2000年の「家計調査」で見ると、東京よりも富山や福島のほうが消費支出が多いのである。県庁所在地別の年間消費支出金額は、一位富山市、二位福島市、三位浦和市、四位金沢市、五位横浜市、六位山形市、七位東京都区部
2002年を見ると、一位富山市、二位広島市、三位さいたま市、四位京都市、五位浦和市、六位千葉市、七位福島市、八位東京都区部である。

p161 階層化を許容する国民

P163、「年収300万円時代」

p163 階層格差固定の危険

p164 低所得層ほど教育費が減少し、テレビやゲームばかり

P165、簡単にいえば、第一階級ほど勉強に不熱心であり、テレビやゲームばかりという生活が浮かんでくるのである。

p166 低い階層の子どもほど学習時間が減っている

P166、勉強時間

p167 地方の若者の意欲低下

P167、2000年の「家計調査」における教育費は、(略)およそ二倍の開きがある。
 大都市部では塾、私立中学・高校が多数存在するので、ゆとり教育では不満あるいは不安なな親は、金さえ出せば子どもに高い教育を施すことができる。しかし地方では、塾はだいぶ増えたが、進学校と呼べる私立は少ない。公立がゆとり教育を実施すれば、子どもの学力、といって悪ければ受験力は低下し、多様な受験教育の存在する大都市部との差が開く。

P168、地方への財源移譲論議のなかで、義務教育の国庫負担金制度の廃止も検討されていることを取り上げ、「この制度を廃止したら(中略)地域間の教育格差が拡大」し、「家庭の経済力や文化力による学力格差が拡大すること」が心配されると述べている。

  • MSN-Mainichi INTERACTIVE 教育ニュース
    http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/edu/archive/news/2004/10/20041011ddm012070184000c.html

    三位一体改革の現場:
    地方はどう変わるのか/2 義務教育

     三位一体改革は当面、06年度までに3兆円の税源を国から地方へ移すことが目標。その「見返り」となる補助金削減で、最大の焦点に浮上しているのが総額2兆5000億円の義務教育費国庫負担金だ。

     一部の知事が負担金削減に反対するのも同じ理由だ。8月18、19日に新潟市で開かれた全国知事会議で長野県の田中康夫知事は「人材が資源の日本では実施主体を問わず、義務教育は国家が責任を持って財源保障すべきだ」と主張。採決では、文科省OBの加戸守行愛媛県知事ら7知事が反対した。賛成に回った石原慎太郎都知事もその後、改めて反対の立場を表明している。

  • 浅野史郎WEBサイト『夢らいん』
    http://www.asanoshiro.org/mm/040824.htm

     反対論のもう一つの論拠は、この国庫負担がなくなると、(財源が乏しい
    県や離島、過疎地を抱えた条件不利県では)義務教育の水準が下がってしま
    うという不均衡を招くおそれがあるということである。義務教育は、あくま
    でも全国共通水準を保つべきであって、こういう事態は絶対に許されないと 主張する。

     こういう想定まではせずに、単に、「義務教育は国の責任で行われるべき
    ものであるから、国庫負担をするのは当然」という論も、全国知事会の場で
    は多く聞かれた。これらの反対論に対しては、知事会の場で、私を含めて多
    くの知事から反論がなされたが、改めて論じてみたい。

     最後の「義務教育は国の責任」ということから始める。国の責任というこ
    とと、財源を半分負担することとは、直接の関係はない。つまり、財源負担
    をしなくなることは、国の責任放棄にはならない。義務教育に対する国の責
    任は、学校教育法などの法令で極めて厳格に義務教育のあり方を規定してい
    ることで、十分に果される。本来、義務教育の実施は、市町村の自治事務で
    ある。義務教育サービスの性格は、福祉サービスなどと同様に、その地域の
    住民たる子女に対してのものであることから、地域密着型であり、国際貿易
    港や高速道路の整備、通貨の統制など、文字通り「国の責任」でなされる仕 事とは性格が違う。

     2番目の「教育水準が下がるおそれ」というのを、知事本人が言い出すの
    は理解に苦しむ。上に書いたように、廃止に伴い地方への税源の移譲を含む
    財源の確保は十分に行われるという前提の下に議論するとすれば、「教育水
    準が下がる」という自動詞で言うのではなく、主語は「知事は」であるのだ
    から、「教育水準を下げる」という他動詞で表現すべきものである。そう言
    えば、反対論の矛盾が明確になる。

  • http://www.tokyo-np.co.jp/00/kakushin/20041006/mng_____kakushin000.shtml

    義務教育費の国庫負担問題

     また、国の負担制度のおかげで教育水準が高まったという文科省の主張に対し、総務省は「公立小学校教員一人当たり児童数」の推移を提示。「一人当たり児童数が減って教育水準が高まったのは、一九五九年に義務標準法が施行されたのが理由だ」と、カネを出す主体が国から地方に変わっても水準は落ちないと反論。理屈では負けておらず、幹部からは「文科省はカネの話ばかりするが、ゆとり教育などほかにやることがあるのでは」と余裕の皮肉も。

  • Yahoo!ニュース - 政治 - 産経新聞
    http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040819-00000000-san-pol

    全国知事会 義務教育費の削減、結論持ち越し

     田中康夫・長野県知事のように「文部科学省という省庁の中で声が小さいところ(が所管する補助金)から処理しようとするのは弱い者いじめ」とする意見も出された。

     これに対し、削減推進派の浅野史郎・宮城県知事が「国が(教育費の)半分を持っていることと、義務教育の水準が守られることはイコールではない」と税源移譲に含めることを主張。石井正弘・岡山県知事も、財政事情の厳しい自治体では補助金を削減すれば教育水準が落ちるとの意見に対し、「(国には)地方に対する不信がある。地方分権という明治以来の大改革に、これを認めることは自己否定になる」と主張した。

  • 義務教育費国庫負担制度堅持アピール
    http://www.ntu-net.com/gikyo-apil.htm

     また、日本の教育を考える「10人委員会の提言」をはじめ、8月17日には、櫻井よしこ氏、森永卓郎氏ら5人に長野県知事・田中康夫氏も加わり、「義務教育費国庫負担金の削減に反対する緊急共同宣言」を発表しています。この宣言の中で櫻井氏らは、「全国民に等しく教育を受けさせる義務教育費は、国家が責任を持って負担すべきだ」等を強調しています。

  • melma!blog [田中県政追撃コラム]
    http://blog.melma.com/00060168/20041004120200

    40対7で、これを一部廃止し、その分の税
    源移譲を国に求めていくことに決まったが、田中康夫長野県知事は反対側に回っ
    た。どこまで考えての反対論か分からないが、昨年までの立場を翻しての反対だ
    った。国庫負担を廃止することで、義務教育の地域格差が広がる、というのが反
    対理由のようだが、しかし、本当にその懸念は正しいのだろうか。
    田中知事のこの態度は、"中央VS地方"の対立の構図を徒に増幅させ、改革を拒
    む"抵抗勢力"のように見える。

  • http://www.tokyo-np.co.jp/00/kakushin/20040820/mng_____kakushin000.shtml

    『分権推進には異議なし』

    石原知事も『賛成』 都、独自行動なお模索

     採決では、賛成が当初の予想より三人増えて四十、反対は七だった。賛成に回ったのは石原知事と、片山善博鳥取県知事、金子原二郎長崎県知事。三人とも、義務教育費を削減・移譲することには依然反対のままだったが「分権推進のため、知事会がまとまって政府に提出することに異議はない」と議論の集約に“協力”した。

     「国が財源を保障しなければ、地方に生まれる子は十分な教育を受けられなくなる」(田中康夫長野県知事)「財源確保論と教育論は別問題。混同しているのでは」(安藤忠恕宮崎県知事)。議場では賛否両論がぶつかった。

P170、郊外化した地方の子どもの「バカの壁」

p171 ところが現代は、地方でも郊外化が進んでいるので、子どもが自分で歩いたり、自転車に乗ったりしていける範囲にそういう店がない。駄菓子を一個買うにも、消しゴムを一個買うにも、親の運転する車に乗せてもらってジャスコに行くしかない。

p172 地方の生活のほうが都会よりバーチャル化している

P172、実際、NHK放送文化研究所の「国民生活時間調査」によると、地域別のテレビ視聴時間は左記のとおりである。
(一部、略)
東京圏 三時間三〇分 北海道 四時間〇九分 東北 四時間〇一分
四国 三時間五三分
あきらかに大都市部で少なく、地方で多い。特に四国、北海道、東北で非常に多い。

  • WINK 107号「NHK国民生活時間調査・結果概要報告」
    http://www.nhk.or.jp/nagano/wink/tokusyu/wink107.html

    このたび、調査結果が速報として発表(2001年2月15日発表)されましたので、長野県の主だった結果概要を簡単に報告します。

  • 2000年国民生活時間調査報告書
    http://www.nhk.or.jp/bunken/book-jp/b-jikan2000.html

    1. NHK放送博物館受付で販売
    2. 郵便振替により申込みを受け、郵送する
    口座名 : NHKサービスセンター
    口座番号 : 00190-0-105415
    通信欄に『2000年国民生活時間調査』と記入のこと。
    (価格 本体1,500 円 (税込))

p172 これも従来の都会と地方のイメージからすると反対だ。都会のほうが自然がないから実体験も少ない、というのがこれまでの常識だ。しかし現実派そうでもなくなっているのである。

p173 家族で消費・レジャー施設に行くだけの生活

p174 人生のモデルがない

p177 二〇〇三年八月に発表された国立教育研究所の「学習意欲に関する調査」の結果でも、どういうときにやる気が出るかという質問に対して、高校生の(中略)、それと並んで「将来つきたい職業に関心を持った」ときも八九.七%いた(中学生でも九〇.五%)。

P179、映画「トゥルーマンショー」
トゥルーマンは、その街の外側に多様な世界が無限に広がっていることを知らずに生きている。それがはたして幸せなのか。

p180 しかし、「それは反面その土地その土地の誇りが失われていく三〇年でもあった」と永山は書く。「地方では何をしていいのかわからない。夢を容易に見つけられない現実がある」と。

P183、目標も意欲もなく、(中略)買い物をしているだけの、たいへん視野の狭い消費人間にも見える。

P183、やや話が飛ぶが、アメリカの一八~二四歳は、過去三年に海外旅行に行ったことのある者が二一%である。スウェーデン九二%、ドイツ、イギリス七七%、イタリア七二%、フランス六七%、カナダ五六%と比べるとかなり低い(ちなみに日本は三一%。『朝日新聞』二〇〇三年一月一日付)。アメリカで生まれ育ち、ほかの国を見聞せず、アメリカが世界でいちばんすばらしいと信じている若者がアメリカには多い。

P193、逆にコミュニティの力が低下すると、われわれは自分の世界に閉じこもり、外の世界を見なくなる。と同時に、外の世界をつねに監視しなくては気がすまなくなるのである。これが近年増えている監視カメラの問題の背景にある。

p193 コミュニティの力があれば、監視カメラも減らせるのである。

P194、都市のリノべーション

p197 歩ける街
P197、道が広くてまっすぐでなければならないというのは、コルビュジェ以来の近代主義的都市計画の陥った誤りだ。コルビュジェは「まっすぐな道は仕事の道だ」と言った。たしかにまっすぐな道のほうが仕事ははかどる。生産的で効率的である。だが、コルビュジェも言っているように、曲がった道のほうが絵画的であり、休息に適している。

  • はてなダイアリー - ル・コルビュジエ

    直方体や立方体をベースにした幾何学的な建築物を多く設計した。パリの中心から貧民街や裏通りを潰して一直線の道と一直線の・しかも統一色(白!)の建物を建てようとした「ヴォワザン計画」の発案・強硬派だった。


    以来、「流線型」にハマッテしまい、1931年の北アフリカのアルジェの街路整備の「オビュ計画」においては、女体の美しいボディラインを模した流線型となってしまっているのだ。

  • ル・コルビュジェの写真
    http://www1.ocn.ne.jp/~training/311501_corbusier.html

     20世紀の建築家で、最も有名かつ
     影響力のあった、ル・コルビュジェの
     作品を紹介します。

  • ル・コルビュジェ Le Corbusier
    http://www.myswiss.jp/art/corbusier.htm

P198、
車がないと暮らせない、通勤も、買い物も、遊びもできないというのでは、別の意味で生活が不便になったということであろう。
 つまり、これも多様性の問題である。マイカーが使えなければ、電車がある、バスがある、自転車がある、徒歩があるという選択肢の多様性があったほうが、生活者にとっては便利なはずである。そしてそれは、歩いて楽しい街、自転車に乗って楽しい街、電車で行くのに楽しい街といった、街の多様性を生むことにもなる。

P199、郊外の生活は、一見ゆっくりとしているように見えるからスローライフだといわれることもあるが、それは間違いである。大量生産・大量消費システムに乗っかった郊外の生活こそ、誰がどこでつくった素材を、どうやって輸入し、どうやって加工しているのかわからない、ファストライフそのものだ。

P200、ニューアーバニズムの教え
アメリカでも、大量生産的で画一的な郊外開発への反省から、この二〇年間、ニューアーバニズムという新しい郊外住宅開発手法が生まれてきている。

 第一に、自動車だけではなく電車を利用すること
 第二に、ミクスド・ユース(複合的・混合的な土地利用)
 第三に、公共空間を重視すること
 第四に、ヒューマンスケールであること
 第五に、歩けること
 などがガイドラインである。
 具体的には
*巨大ショッピングセンターに自転車で買い物に行かなくても、住宅地の中である程度の買い物ができるように近隣商店をつくり、そこに歩いていけるようにする。
*住宅地の中に、広場、書店、カフェ、ギャラリーなどを設けて、人が自然に集まるようにする。
*住宅の敷地面積を狭くして、住宅同士をある程度密集させて建てたり、狭い路地をつくったりすることで、住民の自然なコミュニケーションの機会を増やす。

  • ニューアーバニズム - Wikipedia

    ニューアーバニズムとは、1980年代後半から1990年代にかけて、主に北米で発生した都市設計の動き。ヨーロッパではコンパクトシティー、イギリスではアーバンビレッジが同様の概念を打ち立てている。


    ニューアーバニズムも批判に無縁ではなく、実際に開発された町が目的を満たしていない、社会学的決定論的な傾向がある、などと批判されている。

  • シャロットモデル
    http://www.udit.co.jp/ronsetsu/69/6902.htm

    シャロット・モデルは実践的な手法ですが、その背景にはニューアーバニズムという考え方が存在します。
     この考え方が広く世間で言われ始めたのは、いわゆる行政からのトップダウン方式によるまちづくり(モダニズム)が崩壊し、もはや市民不在によるまちづくりは論外だという風潮が高まってきたからです。そして、ニューアーバニズムを実現するために考え出されたのがシャロット・モデルです。
     ニューアーバニズムという考え方は日本でも多くの書籍が出版されていますので詳細には記述いたしませんが、以下のように大きな5つの理念の上に成り立っています。

    ① ウォーカビリティ(歩きやすさ)

    ② ミックスドユーズ

    ③ 多様な居住形態の提供

    ④ 高密度・コンパクト設計

    ⑤ 地域性が感じられるまちなみの形成

P208、都市計画家の蓑原敬
p209 「その上、賑わいのある都市を育てると言いながら、県庁、市役所などの行政施設、病院や文化施設まで安くて広い土地を求め郊外に移ってしまった所が多い。これでは街が崩壊するのは当然ではないか」

  • 都心居住論
    http://www.academyhills.com/gijiroku/18/ashi.html

    蓑原敬氏は建設省時代から日本の古い街を歩きまわり、「どうして日本の近代住宅団地には、この空間のヒダや暮らしのニュアンスを造り込めないのだろうと考え続けた」と語る。茨城県の住宅課長時代、その思いをぶつけるように公営住宅のスタイルを変える団地を創った。建設省を飛び出してからは、都市プランナーとして活躍、「団地」ではなく、「街」を創ることに専念してきた。「過去50年の残像を払拭して、50年後に観光資源として世界が評価する都市と住まいを考えなさい。主役は君達なのだ」と塾 生を激励する。以下はその講義要約。

  • 街は要る!
    http://web.kyoto-inet.or.jp/org/gakugei/mokuroku/book/938machi/kouen.htm

    街は要る!
    蓑原敬氏らが講演と討論
    『日刊建設工業新聞』 2000.4.27

    危機的状況にある地方都市(街)

    後世に残る街をつくってなかった

    街づくりには市民の総意が不可欠

P210、カルソープ

  • Village Homes
    http://www.geocities.co.jp/Berkeley-Labo/5472/crossings.htm

    ニューアーバニストの西の横綱といえばピーター・カルソープ。そしてそのピーター・カルソープの代表作といえばラグナ・ウエスト。そんな図式がいつしか常識になってしまった感もありますが、実際ラグナ・ウエストを訪れて失望した方も多いのではないでしょうか。確かにラグナ・ウエストはニュー・アーバニズムが台頭してきた時期に実施された大規模プロジェクトですが、様々な必然・偶然が重なり、実際そこにピーター・カルソープの理念が具現化されているかというと甚だ疑問が残ります。一方、ザ・クロシングズは規模こそラグナ・ウエストの比ではありませんが、コンパクトな開発の中に、カルソープのニューアーバニズムの理念の多くが盛り込まれた優れた事例として、アメリカでも注目を集めている話題のプロジェクトです。

  • 視察研修
    http://www.scr-jp.com/scr/result/sta.html

    《カルソープのニューコンセプトタウン-ラグーナウエスト》


    サクラメントの南約16キロ、エルクグローブのLagnaBlvd沿いに広がる定型的な郊外型ニュータウンの一角にラグーナウエストがある。アメリカを代表するプランナー、ピーター・カルソープ氏が手がけたことで知られており、サクラメント市内でも人気は高い。開発はリバーウエスト・デベロップメント社のフィル・アンジェリデス氏が行ったが土地利用計画はカルソープ氏が作成した。しかし、不動産不況の時期に遭遇したことなどによりカルソープ氏が手を引くことになる。その後リバーウエスト・デベロップメント社が開発宅地を他デベロッパーやホームビルダーに売渡し、彼等がガイドラインやデザインコードを守らなかったためにカルソープ氏が当初思い描いたものとはほど遠い街になってしまったようだ。

P210、異なる者同士が、仕事を通じてかかわり合い、言葉を交わし、利害を調整し、仕事を進める。それこそがコミュニティがあるということであり、公共空間があるということなのだ。別に芝生の公園があることが公共空間なのではない。

P213、ある日、私は都市公団の取材を受けた。古い団地を建て替えるが、どのような建て替えがいいかというテーマである。
 私の回答は「社会問題解決団地」、言い換えれば、社会をデザインする地域づくりだ。
 それは何かというと、まず団地に古くから住んでいる、もう定年退職した人に会社やNPOをつくってもらう。大きな団地なら、団地向けだけでも、団地内の清掃、植栽、庭の手入れ、引っ越しや模様替えの手伝いなどの便利屋業、コピーや製本、子どもの遊び相手など、仕事のニーズがかなりある。
(中略)
 もちろん、そのシニア会社やNPOの事務所は団地内になる。団地には必ず、フリーターも失業者も無業者もいる。多くは若者だ。そういう若者をそのシニア会社やNPOで雇う。シニアたちは職業経験が豊富だ。知識や技術をたくさん持っている。それを若者に伝授する場にするのである。
(中略)
 このようなシステムがあれば、シニアの生きがいにもなり、お金も多少は稼げて、若者に仕事を与えることもでき、社会性を身につけさせることもできる。

P218、フランス国立高等社会科学研究院のオギュスタン・ベルク教授




|

« coLinux 0.6.1 (Debian) の起動画面 (10/29) | トップページ | 雨上がりの里山・雑木林・棚田・谷戸へ (10/31) »

コメント

はじめまして。
最近、郊外について考えることが多く、blogを拝見しました。非常に参考になりました。メモがとても詳しいですね。驚きました。参考ブログとしてリンクを張らせていただきました。ありがとうございます。
今回のテーマ以外にもお母様にパソコンを教えている内容は面白いですね。私の母とは大違いです。
今後もご健筆を期待してます。ではまた。

投稿: carnival | 2005.01.13 01:57

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/49099/1816172

この記事へのトラックバック一覧です: 三浦展『ファスト風土化する日本―郊外化とその病理』読了 (10/30):

» 戦う理由 [carnival]
先日実家に帰ってから、「郊外」についてまた考える機会が増えた。 さっき、地元のプロボクサーの幼馴染から電話があった。彼は、小中とクラスでは地味な方だった。... [続きを読む]

受信: 2005.01.13 01:42

« coLinux 0.6.1 (Debian) の起動画面 (10/29) | トップページ | 雨上がりの里山・雑木林・棚田・谷戸へ (10/31) »